ジョイセフ事務局長 鈴木良一によるコラム
<   2014年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧
東日本大震災と被災高齢者:調査報告会に参加して
先日、東日本大震災の被災高齢者を対象に行った調査「世界の高齢者支援の向上と発展~世界の災害に備えて~」の報告会に参加する機会を得ました。

国際NGOであるヘルプエイジ・インターナショナルと日本赤十字社人道研究センターが共同で、東日本大震災が高齢者の生活に与えた影響について調査。被災時の高齢者の体験とその後のニーズを分析したものです。

本調査は、岩手県宮古市と宮城県石巻市で実施。
パイロット調査が2012年10月~2012年11月、質問票による調査が2012年12月~2013年3月に行われました。60歳以上の被災高齢者を、60歳から74歳と75歳以上の2つのグループに分けて実施しました。

報告によると、被災前の人口年齢構成で60歳以上が約30%であったが、この年齢層が震災死亡全体の約60%を超えています。高齢者が他の年齢層と比べ被害にあっている割合の高かったことが判明しました。

調査対象者の約30%が自己避難をしましたが、歩くのが遅かったり、避難所がどこかなどの情報不足であったり、避難指示のスピーカーの音が聞こえなかったり、また、何を持っていっていいのかが分からず、中には、危険を顧みず、改めて一旦自宅に戻ったケースもあったことが分かりました。

避難時に役立ったことは、過去の知恵「津波デンデンコ(過去の津波のわらべ歌)」、隣人の呼びかけ、直前にあった津波の避難訓練の体験などでした。

困ったこととしては、「健康支援不足」、「自分の薬の調達」、「トイレのこと」などが挙げられました。調査時点で、すでに震災から14カ月が経過していましたが、「復興住宅」に移転を希望しても、未だに移転できていないかたがたも多いようです。2013年12月時点で、58%の被災高齢者が依然として仮設住宅に入っています(神戸淡路大震災の時は最後の人が仮設から出たのが16年後のことだったことを考えると、この地域の移転や退去の遅れは相当の数となることが予測できます)。

また、「避難後も他者との交流が難しい」、「毎日することがない」、「失職」、「健康状態の悪化(動く機会が減った分、足腰が弱った)」などの現状が浮き彫りになっています。

被災した男性の方が、孤独感を女性より強く感じているようで、引きこもりのケースも多かったとの報告がありました。女性はいろいろなイベントや活動に積極的に参加していることも分かりました。知らない人と打ち解けることが難しいと思われる男性の孤立を防ぐことが課題です。居場所づくりや社会的役割を持ってもらうなどの外部からの積極的な介入が必要です。

これらの状況以外に、多くのことが分析されていますが、この報告書の内容は、日本のみならず、世界のどの国や地域においても、被災した高齢者への対応の教訓や参考として役立つと考えます。

震災から3年近くが経過しましたが、いまだに癒されていない方々は依然として多く、とりわけ、高齢者の社会復帰が、他のグループと比べると、遅くなっていることが大変気になったところでした。高齢者の知恵や経験が生かせる道を模索する必要があるのではないかと痛感しました。


(2014年2月、東京にて)


e0250804_14371840.jpg
「世界の高齢者支援の向上と発展~世界の災害に備えて~」和文・英文報告書表紙
[PR]
by joicfp_rio | 2014-02-06 12:53
ODA(政府開発援助)60周年に考える
日本が国際協力に乗り出したのが今から60年前の1954年(昭和29年)であった。また、第2次世界大戦終了後の1945年(昭和20年)から国際的な枠組みが徐々に構築され、国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(世界銀行・IBRD)が設立され、活動を開始したのも、ほぼ同時期(1946年)のことである。

1954年、日本がコロンボ・プランに加盟。日本人専門家による技術協力や研修員の受け入れも始まった。現在では、コロンボ・プランに加盟した10月6日を記念して日本政府はこの日を「国際協力の日」としている。

日本の国際協力の歴史もやっと「還暦」ということである。その後、日本が国連に加盟したのが1956年(昭和31年)。青年海外協力隊が初めて派遣されたのが1965年(昭和40年)。国際協力事業団(現国際協力機構・JICA)が発足したのは、1954年から20年が経った1974年(昭和49年)であった。

1985年(昭和60年)に出版された朝日新聞社の「援助途上国ニッポン」というレポートは話題を呼んだ。援助に慣れない日本が模索しながら努力を重ねていたころである。私の担当していたフィリピンの家族計画プロジェクトが紹介されたのを懐かしく思う。

その後、日本は、急速な経済成長に伴い、先進国の中でもODA(政府開発援助)の総額を伸ばし、1989年(昭和64年・平成元年)には世界No.1となり、世界に貢献する日本としての実績を上げた。しかし、現在はODA総額では、世界5位にまで落ち込んでいる(2012年度:1位:米国、2位:英国、3位:ドイツ、4位:フランス)。

1997年(平成9年)以降日本のODAは減額の一途をたどっており、その金額は、ODA総額は世界一を誇っていた頃に比べ40%以上の減額となっている。これにより日本の「プレゼンス」が希薄になってきていることは事実であり、懸念される。積極的平和主義や平和外交を標榜する日本としては、この60周年を機に、さらに積極的なODAの増額と開発途上国のニーズにあった一人ひとりの健康や生活の向上に届く支援協力を行ってほしい。


(2014年2月、東京にて)
[PR]
by joicfp_rio | 2014-02-03 15:41
日本家族計画協会60周年 ― さらなる挑戦を!
60年前の昭和29年(1954年)4月18日に日本家族計画協会(JFPA、発足当初は日本家族計画普及会と呼称、1962年現名称に変更)が発足。JFPAは今年創設60周年を迎える。これまでの実績に心からの敬意を表するとともに、未解決の課題にむけてのさらなる挑戦に期待するものである。

日本の家族計画分野の民間団体としてのJFPAは、当時、117万件(昭和30年(1955年))の人工妊娠中絶の実態に果敢に取り組んだ。同年の出生数が173万人であったから、中絶の数は驚異的な数値であったといえる。設立当初の、JFPAの使命は、「中絶から避妊へ」の取り組みであった。JFPAによって進められた家族計画運動は、すべての子どもは望まれた子どもにということと、母体を守るための運動(のちに母子保健へ)として展開された。この60年間に、中絶件数は19万6千件(平成24年/2012年)と今まででの最低の水準となっている。これは、家族計画の考え方が浸透していると考えられる一方で、依然として望まない妊娠・意図しない妊娠により中絶に至った数が、出生数(約100数万人)と比べれば、まだまだ多く、決して喜べる状況ではないといえる。単純に比較すると、5人の出生と1件の中絶(5:1)となる。当然、中絶の数は0が目標であり、そのためには予防手段である避妊のさらなる普及が求められる。とりわけ10代の中絶が、注意すべき数字(2万659件)であることには、警鐘を鳴らしたい。

世界では、家族計画も含めたリプロダクティブヘルス・ライツの課題は山積している。JFPAの60周年を機に、改めて、日本の家族計画を、積極的で効果的な官民挙げての取り組みとすることが求められる。

思春期保健や性教育の分野は、人間教育としての包括的な取り組みとして実施していくことが望ましい。望まない妊娠や意図しない妊娠は、避妊という手段で、必ず予防できると信じる。また、40代の女性の中絶の比率も依然として高いのが懸念される。産み終えた世代へのアプローチも合わせて必要である。

60周年を祝うと同時に、JFPAには、日本の先駆的なNGOとして、また、国際家族計画連盟(IPPF)の日本を代表する加盟協会として国際的な使命も果たすべく、さらなる尽力・活躍を期待したい。ジョイセフも姉妹団体として、また同じミッションを持つ団体として緊密な連携協力を行い、共通の課題に取り組んでいく所存である。


(2014年2月、東京にて)
[PR]
by joicfp_rio | 2014-02-03 15:40


ブログトップ