ジョイセフ事務局長 鈴木良一によるコラム
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ミャンマーの母子保健にさらなる支援を
2005年~2010年までの5年間、私はリプロダクティブヘルス専門家としてミャンマーにたびたび派遣されていました。国際協力機構(JICA)の委託を受けて、ジョイセフは「地域展開型リプロダクティブヘルス・プロジェクト(通称:Healthy Mother Project)」を、ミャンマー政府の保健省保健局と連携・協力し、東北部のシャン州の2つのタウンシップ(ナウンチョー:14万人、チャウメー:人口17万人)で実施していました。

プロジェクト開始前に日本を訪れ、和歌山県を訪ねたミャンマー保健省の4人のカウンターパートが、同県九度山町の母子保健推進員(母推さん)の活動に感激し、これをお手本にした制度をミャンマーに導入したいとの強い要望でこのプロジェクトは生まれたのです。

シャン州の山間部の30軒に1人という割合で、同じ村で出産経験のある女性が中心となって選ばれ母推さんとしての研修を受け、自らの知識を高め、情報を提供する能力を兼ね備えた上で、地元で活動を開始。プロジェクト地区では約1700人が母推さんとして養成されました。彼女たちを指導した助産師さんとの連携によって、短期間のうちに妊産婦の産前健診率、予防接種率、産後健診率などが上がり、また妊婦さんの予防的な知識も高まったと評価されました。

2010年1月のプロジェクト終了後も、この2つのタウンシップの経験が他の地域でも応用されています。地域の最前線で保健や医療の担い手である助産師さんと地域の妊産婦さんの「橋渡し役」の母子保健推進員さん(母推さん)の活躍は、当時の保健大臣に注目され、保健省のプログラムの一環である地域保健ボランティアの育成計画として、その後も多くのタウンシップで実施されています。まさにミャンマー式「母推さん」として活躍していて、彼女たちは地域からも高い信頼を得ています。

しかし、シャン州には、いまだに課題が山積しています。

それらは、まず、山間部におけるアクセスの問題です。シャン州の山間部では、いくつかの山を越えて農村保健所や病院に辿りつかねばならず、もし緊急の事態があった場合は、間に合わず、お母さんの命を救えないということもしばしば起こっています。

また、複数の言語の少数民族が点在しており、文化的、慣習的にもビルマ族の人々とは違う配慮が必要という課題もあります。また、緊急産科ケアのできる医療保健施設や人材の不足はどの農山村地域では恒常的です。また、保健医療関係の予算も不足が続いています。

最近、ミャンマーの民主化はかなり進展しています。都市部へは海外からの多くの投資も行われていて、ミャンマーも経済的な発展が大いに期待されています。しかし、それが、都市集中型の投資であり、都市部に住む人々への恩恵のみにとどまってはならないと思います。ミャンマーの約66%(2010年UNFPA)の人々が住むアクセスの悪い農山村地域の人々や、少数民族に、あらゆる恩恵が届くことこそが、真の意味の民主化の成果であると信じています。

とりわけ、依然として高い妊産婦死亡率(出生10万対200、2010年UNFPA他)や5歳未満児死亡率(出生千対71、2009年WHO)の指標が示す通りで、これらは日本の1930~40年代の状況と重なります。母子保健の向上のためのサービスの強化は、基礎的社会サービス分野の最重要課題のひとつであると思います。

ミャンマーへの日本や国際社会からの支援協力が今後さらに増強されていくことと思いますが、その中に是非とも、地域に根差した、また、少数民族にもやさしい母子保健推進プログラムが含まれることを望んでいます。

(2012年7月、東京にて)

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【写真】
2012年3月に保健省母子保健課長等によるシャン州のプロジェクト地区へのモニタリング活動。助産師(赤いスカート)、母子保健推進員(胸にバッジ)の活動への更なる技術支援を実施した。

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by joicfp_rio | 2012-07-19 11:58
母子健康手帳70周年 (その2)
先日、今年が母子健康手帳の70周年であるとコラムを書きましたが、今日は、その続きを書きたいと思います。

70年前の昭和17年(1942年)と言えば、まさに戦時下です。
母子健康手帳の前身である「妊産婦手帳」は、当時ドイツへ派遣された瀬木三雄氏(戦後、初代の厚生省母子衛生課長、故人)が、ドイツで妊産婦の健康推進のために使われていた「ムッター・パス」を日本に紹介、応用したものです。

当時、日本の妊産婦のおかれていた状況は、栄養状態も悪く、定期的な健康診査も行われておらず、出産は自宅に「産婆」を呼んで行うというのが最も一般的でした。妊産婦手帳を取り入れた当時の日本は戦時下で、「富国強兵」の一環として、「健康な妊婦から健康な赤ちゃんを」という強い指導が時の政府からあったことが導入のきっかけであったことは時代背景としてありました。

瀬木博士のグループは、この手帳と「妊娠届出制」を制度化し、妊娠の早期の段階から、妊産婦の行政による把握を奨励しました。また戦時下の「配給制度」もすでに始まっており、妊産婦へのインセンティブ(優遇措置)も考慮されました。たとえば米や牛乳、砂糖等の食料品や脱脂綿、腹帯用の木綿などを妊産婦に優先配給し、栄養面などでの強化を図るばかりでなく、それが手帳の普及にも功を奏したと言えます。定期的な妊婦健診は、疾病等の早期発見・早期治療にも効果を発揮しました。妊娠高血圧症(妊娠中毒症)や性感染症の発見もその対象となっていました。戦時下の社会情勢下ではありましたが、日本の母子保健の向上にとっては、重要な役割を果たした手帳制度であったと評価できます。

ジョイセフでは、発足当初(1968年)から実施している開発途上国向けの家族計画・母子保健分野の研修会などにおいて紹介するために、厚生省母子衛生課(当時)の監修を受けて英訳し、活用してきました。

日本の戦後の母子保健の発展に寄与した母子健康手帳制度の役割は大きく、そのことに着目した多くの国々が、この制度を現在も熱心に学んでいます。日本の母子保健のさまざまな経験が開発途上国の母子保健の向上に役に立つことを祈るとともに、70年の歴史をもつ母子健康手帳制度をジョイセフとしても、今後も世界に紹介していくつもりです。

(2012年7月、東京にて)
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by joicfp_rio | 2012-07-06 18:09


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